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横瀬町民グラウンドで4年ぶりの町民体育祭 延べ2千人が参加

武甲山に見守られ、4年ぶりの体育祭開催となった

武甲山に見守られ、4年ぶりの体育祭開催となった

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 「第40回横瀬町民体育祭」が10月7日、横瀬町民グラウンドで4年ぶりに開催された。当日は延べ約2000人の町民が参加した。

横瀬町の富田町長と横瀬町スポーツ協会学識理事の武藤さん

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 横瀬村から横瀬町になってから40回目の開催だが、横瀬町民グラウンドで開催するようになってからは50回目。横瀬村だった頃に横瀬小学校の校庭などで行っていた頃から数えると、73回目の開催となる。

 小学校や中学校の体育祭は昔から行われていたが、学校以外での運動会は1930(昭和5)年に行われた「坂善」という織元の従業員たちによるものだとされる。当時織物が盛んだった横瀬村で、女工たちの慰労目的で始まったものだという。

 終戦後の1949(昭和24)年には青年団による運動会、1950(昭和25)年には小学校運動会に消防団員や青年団員が参加した。1951(昭和26)年10月1日に村を挙げての「横瀬村民体育祭」を横瀬小学校校庭で行い、会場を中学校の校庭に移すなどしながら毎年の行事となっていった。当時の村民5839人のうち2200人が参加した記録も残っている。

 1971(昭和46)年ごろから、社会体育の普及や振興を目的として埼玉県が補助制度を作ったことにより、横瀬町では中学校の体育館建設やグラウンドの整備を行った。1973(昭和48)
年10月13日に町民グラウンドが完成し,、翌14日に初めてグラウンドを使ったのが「第1回横瀬村民体育祭」だった。

 チームは横瀬町の地域別に「根古屋(ねごや)」「苅米(かるごめ)」「宇根」「中郷」「川東」「川西」「芦ヶ久保」の7つに分かれる。地域によっては玉入れや綱引きなど事前に練習を重ねた。

 リレーや玉入れや綱引きなどの競技だけでなく、過去にはクイズやグラウンドゴルフ、宝探しなどの種目も取り入れてきた。今年は「横瀬くじ、ゲットだぜ!」が新しく加わった。スピード勝負だけでなく「くじ運」の要素を加味した種目。競技参加者は走りながら封筒に入った絵柄を取り、全員が走り終わった後に絵柄の点数を発表。絵柄の点数が発表される度にチームからは歓喜や悲鳴が上がった。

 結果は26点で根古屋が優勝、25点で川東が2位、24点で中郷が3位だった。横瀬町スポーツ協会学識理事の武藤量司さんは「スピードや力の勝負だけで点数がつかないように、くじ運の要素を取り入れてみるなど、加点する競技と加点をせず楽しむための競技を用意することで、老若男女誰でも楽しめる運動会を心がけている」と話す。

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