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小鹿野町・奈倉会館で幼児被爆者が「原爆の悲惨さ」伝える

講師と参加者の集合写真

講師と参加者の集合写真

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 小鹿野町の奈倉会館(小鹿野町下小鹿野)で4月20日、「ー戦後80年 ヒバクシャが語るー山中茉莉 平和講演」が行われ、地元住民ら約40人が参加した。

講師の山中さん

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 主催は奈倉地区の全住民が組織する「奈倉文庫」。47年にわたり毎月の新聞発行や版画でのカレンダー作り、年末コンサート、廃品回収などを行っている。戦後70年を迎えた年には、有志が企画し戦争にまつわる品々を地域内で持ち寄るなどした。戦争体験を語れる人が少なくなっていく中、当事者の話を聞いて「住民同士で改めて平和について考えよう」という趣旨で企画した。2月には同館で元イスラエル空軍兵士による講演会も行った。

 講師の山中茉莉さん(所沢市在住)は2歳で被爆。広島市段原町に生まれたが戦時中の食糧難を理由に母や兄とともに、爆心地から1.4キロの中広町に里帰りさせられていた時のことだった。講演では、被爆時の上空写真や祖母や母から伝え聞く無残な光景、爆風や熱線の大きさを示す具体的数値を用いて原爆の惨禍を訴えた。「命は助かったとしても、その後に進学も就職も結婚をも阻む差別や、子どもを被爆させてしまったという母の生涯にわたる罪悪感と苦悩が、核兵器の本当の恐ろしさだった」と山中さん。差別などに直面した山中さんは被爆者を理由に逃げないと決め、広島を出て東京の出版社へ就職した後、作家の道へと進んだ。

 質疑応答では中学2年生の高橋寬貴さんが「昔、『はだしのゲン』を読んで、原爆というものに関心を持っていたので、体験した方の話は貴重だと思い参加した」と話すと、山中さんが「舞台となった舟入本町と中広町は目と鼻の先で、作者の中沢さんは街並みを忠実に描いてくれた。忘れられることが一番怖いので、漫画を通して関心を持ってくれたことが、とてもうれしい」と答えた。

 講演を担当した田島昭泉さんは「生だから伝わる話が聞け、戦争は起こしてはいけないと一層思った。小さな会館でみんなが近い距離で聞けたことが何より良かった」と振り返る。

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