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秩父夜祭 「下郷笠鉾」囃子手、団子坂上れずも役目果たす

下郷笠鉾と本町屋台とのすれ違い 囃子手と襦袢着(じゅばんぎ)がエールを送りあった

下郷笠鉾と本町屋台とのすれ違い 囃子手と襦袢着(じゅばんぎ)がエールを送りあった

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 日本三大曳山(ひきやま)祭の一つ「秩父夜祭」が12月2日・3日に開催され、「下郷笠鉾(したごうかさぼこ)」が曳行(えいこう)中のトラブルで一時運行ができなくなった。

団子坂上で、他町会の帰りを見送る下郷囃子手

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 300年以上の歴史がある同祭は国重要有形・無形民俗文化財に指定され、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている。2日に約12トン~20トンの屋台・笠鉾(かさぼこ)6基が秩父市内を曳行。3日夜の大祭では秩父神社を出発し、御旅所(おたびしょ)までの約1.5キロを花火と共演。多くの観光客が訪れ、昨年を8万4000人上回り、2日間で計36万8000人の人出があった。

 参加する屋台・笠鉾の中で最も大きい笠鉾を持つ下郷笠鉾は3日夜の運行中、最大の見せ場となる団子坂付近で進めなくなった。原因は車輪近くで発生したトラブルで、一時現場は騒然とした。進めなくなった笠鉾を、祭りの運行の妨げにならないよう道路脇に寄せ、後列の屋台を先に進ませるという珍しい事態に発展した。

 下郷笠鉾と他町会の屋台が道路上で並ぶことは珍しく、過去にも例がないことから、逆に「100年に一度」の好機会をカメラに収めようとする見物客も多くいたほか、普段とは違う運行に心配そうに見つめる地元民の姿もあった。

 下郷の囃子手(はやして)長の田端さんは「笠鉾は毎年、祭りが近くなると2日間に分けて組み立てる。今年も3日の朝から曳行を行い、自分も囃子手として笠鉾に乗っていた。道中問題はなく、乗っていても気が付かなかったが、聖人通りを進む途中で笠鉾が停止し、周りのざわめきで大変なことが起きていると感じた」と振り返る。

 修理が長引くと判断した下郷笠鉾は、御旅所への運行を断念。団子坂を上ることができなかったことから、参加した囃子手の中には涙を流す人もいた。祭りは無事閉幕したが、囃子手を務めた6人は他町会の屋台・笠鉾の帰りを見送るために歩いて団子坂の上まで進み、団子坂を下っていく各町会にエールを送った。大勢の人たちに見守られる中、無事に修理を終えた笠鉾は2時30分ごろ、収蔵庫に向けての帰還を開始。収蔵庫に収蔵されたのは5時を過ぎていた。

 田端さんは「団子坂を上る姿を夢見ていたので、上れなかったことは本当に悔しかったが、それ以上に昔から祭りに尽力されてきた方々が、悔しい思いをされている様子を祭り中に目にし、自分たちだけでは無かったのだと感じた。他町会からの声援、屋台とのすれ違いでエールを送り合えたことは忘れられない思い出になった。けがもなく無事に帰れたことに安堵(あんど)するとともに、一緒に寒さと戦いながら支えてくださった皆さんに感謝。囃子手として乗ることは一生に一度しかないが、この年の囃子手として役目を果たせたことを誇りに思う」と話す。

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