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皆野町で企画展「皆野の俳句~戦中編~」 太平洋戦争中の俳句の歴史たどる

俳誌、句集のほか日記や軍服などの資料を展示

俳誌、句集のほか日記や軍服などの資料を展示

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 皆野町の「壺春堂(こしゅんどう)」(皆野町皆野)で1月16日、ミニ企画展「皆野の俳句~戦中編~」が始まった。皆野町教育委員会が昨年10月に主催した「皆野の俳句~戦前編~」に続く企画展。

金子兜太氏着用の海軍軍服

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 太平洋戦争中、中国大陸や東南アジア島しょ部に出征した皆野町の俳人、持田紫水・金子兜太・塩谷孝の3人を取り上げ、俳誌や句集、日記、軍服など約40点の資料で3人の軌跡を追う。併せて、作品を通じて戦争俳句の背景や俳壇上の位置を考える。会場の壺春堂は、金子兜太とその父、金子伊昔紅の旧自宅兼医院。

 持田紫水は中国大陸や東南アジア島しょ部へ出征し、日本とは異なる動植物や地形、風景を題材に作品を詠み、1942(昭和17)年度の馬酔木(あしび)賞を受賞。東インドシナ半島派遣時代に詠まれた「夕焼けて椰子(やし)いづる帆の遅速あり」(「馬酔木」昭和17年2月号)の句では、染まる夕空を背景に、椰子を透して海を行き交う帆船の情景を詠む。

 金子兜太はトラック諸島夏島に出征。現地では慰安として句会が催されており、その記録も残されている。塩谷孝は中国大陸内陸部に出征し、戦場で詠まれた作品や作戦行動の記録は後に「陣中日記」として刊行されている。

 皆野町教育委員会社会教育担当学芸員の望月暁さんは「現在、俳句は日本だけではなく世界中で詠まれている。その土地それぞれに違った題材があり、日本の歳時記とは違う季感で詠まれる。そうした意味では、紫水氏の戦争俳句作品はそのさきがけになるといえる。また、戦争がいかに過酷なものだったか、孝氏の軍服や日記などからもうかがうことができる。新しい視点で、当時の俳句をもう一度見つめ直す機会になれば」と話す。

開場は10時~16時。入場無料。今月29日まで(22日は講演会のため一般公開なし)。会場の壺春堂は皆野町1168番地、金子医院の隣。

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