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秩父に初のストリートピアノ 「思い出のピアノ」としてオープニングセレモニー

「思い出のピアノ」と記念演奏者(左から加藤さん、髙宮さん)

「思い出のピアノ」と記念演奏者(左から加藤さん、髙宮さん)

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一般財団法人秩父地域地場産業振興センター(以下、秩父地場産センター=秩父市宮側町)で12月25日、廃校で使われなくなり「思い出のピアノ」として生まれ変わったアップライトピアノ2台がオープニングセレモニーでお披露目された。

秩父市長や来賓によるお披露目

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 秩父地場産センターは秩父鉄道秩父駅、物産館、同市産業観光部、商工会議所、ハリーワークなどが入っている。ストリートピアノは2階の地場産紹介コーナーに設置した。普段は絵画、写真などの作品展示などで使われている。

 セレモニーは2部構成で、ピアノのお披露目を来賓と秩父市イメージキャラクター「ポテくまくん」が行い第1部がスタート。北堀 篤秩父市長のあいさつに続いて、ピアノの誕生秘話やピアノがあった小学校の話しが披露され、記念演奏が行われた。

 ピアノは大滝の小学校で使われていて、廃校と同時に使われなくなった。今年5月に市職員が別件で上中尾小学校(上中尾)を訪問して発見し、鍵盤を押してみると音が出たことから活用方法を模索。大滝支所に確認したところ大滝小学校(大滝)にもあることが分かり、6月から秩父楽器サービスに修理を依頼した。

 茶色のピアノ(ディアパソン製造)は上中尾小学校に置いてあり、いつ購入されたか記録なないため製造業者に問い合わせたところ、1954(昭和29)年製造と分かった。鍵盤は象牙で、現在では製造ができないほど珍しいという。

 黒いピアノ(カワイ製造)は元々、三峰分校で使われていた。ピアノの中に購入履歴が分かる紙があり、1964(昭和39)年に三峰ロープウエーの大型化と雲取林道が開通し、ピアノが運搬できるようになったことから購入。ロープウエーで山頂まで運び、PTAの人力で学校に運び込まれ使われていた。同分校は1980(昭和55)年に閉校となり、大滝小学校に移された。旧大滝村には分校を含め7校の学校があったが、児童数の減少が続き2014(平成26)年に大滝小学校も閉校になった。

 記念演奏は2人が行った。一人は大滝小・中学校卒業生で、音大付属高校で3年間、声楽とピアノを学んだ加藤さん。現在は2児の母親で、ピアノを弾きながら歌を歌い子どもに聴かせているといいう。母校の校歌やクリスマスソングを演奏した。もう一人は市立尾田蒔中学校2年の髙宮さん。2歳でピアノを始め、小学2年生のときにコンクール受賞して以来、毎年数々の賞を受賞している。弾いた曲は、全国大会用の2曲を演奏した。

第2部は一般公募で応募した12人が演奏した。ピアノを始めたばかりの子どもから、ピアノ講師まで幅広く、本格的な曲や人気のアニメソング、中には息子と父親の連弾もあった。多くの見物人や関係者でにぎわった。

 秩父地場産センター総務課の小林智美さんは「現在は各地でストリートピアノが話題になっている。まだ音の出るピアノを利活用できやっと秩父に『思い出のピアノ』として誕生した。ここに来れば誰でもピアノが弾けるという情報発信を行い、多くの方に知っていただいて、どんどん弾いてもらいたい。」と話す。

同施設開館時間(10時~17時30分)中に弾ける。12月29日~31日は休館のため閉鎖。

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