秩父歌舞伎の伝統を引き継ぎ今もなお活動を続けている秩父歌舞伎「正和会」が10月3日、秩父の栃谷にある国指定文化財である八坂神社(秩父市栃谷)舞台で歌舞伎公演を行った。同舞台で行われる歌舞伎公演は86年ぶりという。
秩父歌舞伎の起源は古く、豪華な山車と笠鉾、勇壮な囃子、数千発の花火などで知られる日本三大曳山祭「秩父夜祭」の際、昼間の市内で行われる「屋台芝居」で、山車の両側に張り出した舞台を設営し、歌舞伎が上演される。
記録では、1747年には当時の領主の代理人が「屋台芝居」を見物したという。上州筋から歌舞伎の師匠を呼んだという記録もあることから、その頃が秩父地方の地芝居(農村歌舞伎)のルーツとされている。
こうした地芝居は秩父地域には今でも残っており、「小鹿野歌舞伎」「白久、出牛、横瀬の人形芝居」などが今でも公演を続けている。この日公演が行われた「八坂神社舞台」がある秩父市栃谷地区にも過去には歌舞伎役者が居て全国を興行していたと地元の人が話すように、地芝居が盛んな地域だったとされている。
公演の前日、正和会のメンバーが栃谷八坂神社舞台に集合。既に花道用の土台のパイプなどが組まれていたが、おのおのが工具や草刈り機などを持参して、翌日の公演に向けて準備をした。栃谷八坂神社舞台は1899(明治32)年に建築されたとされ、歌舞伎舞台として豪華な造りになっているが、最後にここで歌舞伎が上演されたのは記録では86年前とされている。
公演当日には近所の人や秩父地域の歌舞伎関係者など、およそ200人が集まり、正和会による「吉例曽我対面 工藤館之場」が演じられた。花道から2人の若者が登場し見得を切ると、観客からは拍手が起こった。
正和会の坂本益義会長は「コロナ禍で、公演をするにも稽古をするにも不自由があるが、伝統を守り、後継者を育てることには立ち止まってはいられない。今年も秩父夜祭で『屋台芝居』を演じる機会は無いかもしれないが、11月には別の公演も準備しているし、各地からの上演依頼も来ている。私たちは秩父の伝統芸能を守っている一員であると自負している。これからも精力的に活動を続けていきたい」と意気込みを見せる。